ベルリンでひきこもり

毎日ベルリンでひきこもり。ときどき旅にでかけます。

10日間でポーランド1周 | 港湾都市グダニスク

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ポーランド1周、最初の町はバルト海に面した港湾都市・グダニスク。
初日はグダニスクの街歩きを中心に、複雑なポーランド史の中でもとりわけ複雑なグダニスクの歴史をたどります。

グダニスクのこと

歴史を知ると街歩きがもっと楽しくなります。というわけで、グダニスクの歴史をサラッとおさらい。
歴史の授業はいらないぜ! という方はこちらから飛ばしてどうぞ。

ドイツとポーランドの狭間

今でこそポーランド一の夏のリゾート地として多くの観光客を集めるグダニスク。
しかしドイツとポーランドの間でたびたびその領有が争われてきたグダニスクは、ポーランドの歴史を語るうえで欠かせない、常に重要な立ち位置にありました。

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By User:Mathiasrex Maciej Szczepańczyk (Own work) [CC BY 3.0], via Wikimedia Commons

ドイツに領有されていた頃の名残か、旧市街入り口に立つ黄金の門にはドイツ語の一文が刻まれています。

グダニスクの街の起源は10世紀、初代ポーランド王ミェシュコ1世が建設した砦に由来します。
その後ポメレリア地方の中心地として発展を遂げ、1308年にはドイツ騎士団の支配下に入ります。この頃にはハンザ同盟にも加わり、海上貿易の拠点として栄えました。

15世紀にドイツ騎士団がポーランドに敗れその支配権を失うと、グダニスクはポーランド王の庇護を受けることとなり、以降16世紀、17世紀にわたってその繁栄を極めます。
しかし時代が下りポーランド王国の政情が不安定になり始めると、ポーランドの領土は隣接するプロイセン・ロシア・オーストリアによって奪われていきます。

f:id:tabbie_cat:20160918112738j:plain By Rzeczpospolita_Rozbiory_3.png: Halibuttderivative work: Sneecs (Rzeczpospolita_Rozbiory_3.png) [GFDL or CC-BY-SA-3.0], via Wikimedia Commons

グダニスクも1793年の第二次ポーランド分割によってプロイセンに併合され、街の名前もドイツ語の"Danzig"(ダンツィヒ)が正式名称となります。
ナポレオンの時代に僅かな間独立を取り戻しますが、ナポレオンの失脚後はまたもプロイセンに取り込まれ、再度の独立が叶うのは第一次世界大戦の終了を待ってからのこと。

しかしグダニスクをめぐるドイツとポーランドの因縁は、ここで終わりではありませんでした。
独立を回復して20年後、1939年のナチス・ドイツによるポーランド侵攻をきっかけに第二次世界大戦が勃発します。
その最初の標的となったのもまた、ここグダニスクだったのです。

第二次世界大戦勃発の地

第二次世界大戦勃発の地というと、市北部にあるヴィスワ川河口のヴェステルプラッテが有名です。冒頭の写真に映る木造の遊覧船で、ヴェステルプラッテの戦闘の跡を見に行くこともできます。料金は往復40PLN。
ですが、ここでは同日に起きたポーランド郵便局での戦闘について触れようと思います。

ヴェステルプラッテでの戦闘が始まったのとほぼ同じ頃、グダニスク中心街にほど近いポーランド郵便局へもドイツ軍および警察特殊部隊による攻撃が開始されました。
郵便局員たちは15時間にもわたって攻撃をしのいだものの、力及ばずついに降伏。降伏後、拘束された局員たちの様子を表すモニュメントが、当時のポーランド郵便局(現在は博物館)裏手に残されています。

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当時の様子を撮影した写真と見比べると、手のあとが生々しく思えてきます。

その後もグダニスクは他の多くのポーランドの都市と同じように、ドイツ、そしてソビエトからの攻撃で甚大な被害を受けました。特に旧市街は建物の90%が破壊されたとも言われています。

戦後の街並み復元から、世界遺産へ

そのため、グダニスクの旧市街の建物はほぼ全てが戦後に再建されたもの。とはいえその復元は非常に精密です。
戦前に描かれたグダニスクの街並みと冒頭の写真を見比べると、細部まで非常に忠実に復元されていることがわかりますね。

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Wojciech Gerson [Public domain], via Wikimedia Commons

なお、街を歩いていると多くの建物のファサードに彫刻のようなものを模した絵が描かれているのに気がつくかと思います。
もともとこれらの建物のファサードは、貿易で栄えたグダニスクの豊かさを象徴するかのように化粧漆喰などで立体的な装飾がされていました。しかし戦後これらの装飾まで復元するにはお金が足りず、かわりに絵を描くことにしました...というのが地元の人の談。

しかしながら、この旧市街地の精密な復元は高い文化的価値があると認められ、ユネスコの世界遺産の暫定リストに登録されています。正式に世界遺産として登録される日もそう遠くはないようです。

木製クレーン Żuraw

さて、貿易で栄えたグダニスクを象徴する建物がこの木製クレーン。建物内には2つの滑車が据え付けられています。
このクレーンの動力は人力で、滑車の中に人間が入って歩くことで荷物の揚げおろしをしていました。まさにハムスター状態。

しかしこの木製クレーンの不思議なところは、その立地場所。

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船で運ばれてきた穀物を貯蔵する倉庫は、実は運河を挟んだ対岸(この写真を撮影する私の背後)にあります。
貨物を倉庫へ運搬する際の利便性を考えるならば、倉庫側の岸に設置したほうが合理的なはずです。なぜ倉庫側にクレーンを設置しなかったのでしょうか?

一説には穀物の運搬は二の次で、グダニスク市民が大好きなお酒をすぐに市街地に運び込めるようにあえて市街地側に設置した、とも言われていますが...本当でしょうか。

聖母マリア教会 Bazylika Mariacka

グダニスクのもうひとつのランドマークと言えるのがこの聖母マリア教会。旧市街のほぼ中心に位置する、世界最大級のレンガ造りの教会です。完成は1502年。

幅66mに長さ105m、塔の高さは78m、と言われてもなかなかピンとこないかもしれませんが、この教会の収容人数はなんと2万5000人。
さいたまスーパーアリーナの座席数が2万7000席ということなので、だいたいそのあたりの人数がすっぽり収まる教会と言えば、その巨大さがうかがえるのではないでしょうか。

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写真の左手に見える大きな建物が聖母マリア教会です。旧市街の他の建物と比べても、とりわけ大きいことが見て取れますね。中央の建物は旧市庁舎。

入場料4PLNが必要ですが、高さ78mの塔からはグダニスクの町が一望できます。
建物としては旧市庁舎のほうがわずかに高いようですが、展望台の高さはこちらの塔のほうが上。
教会内部の15世紀に作られた天文時計や、ハンス・メムリンクの3連祭壇画(複製・本物はグダニスク国立博物館蔵)なども見どころです。

琥珀を買うなら必ず訪れたい、マリアッカ通り Mariacka

聖母マリア教会の裏手から運河へ続く道は、マリアッカ通り。
狭い通りいっぱいに琥珀のお店が連なります。

今から6000万年ほど前、現在のバルト海一帯は松の樹の生い茂る陸地でした。
この木々から流れ出した樹液が長い歳月をかけて化石となり、時折潮の流れに乗って海岸へ打ち上げられます。これが現在のバルト海沿岸の琥珀の由来というわけです。

世界に流通する琥珀の80%は、ここグダニスクからロシアのカリーニングラード州にかけての地域で産出されたものと言われています。
そんなグダニスク土産といえばやはり琥珀製品、ということで、グダニスクでは街中琥珀のお店であふれていますが、お店の質はまちまち。特に虫入り琥珀などの貴重な琥珀を手に入れたいなら、一度はこのマリアッカ通りを覗いてみるのがオススメです。

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こちらは私が購入した虫入り琥珀、お値段130PLN。蚊が入っているのが見えます。
虫入り琥珀は店によって値段が大きく異なりますので、できるだけたくさんの店を回って比較検討することを推奨します。
通りの中ほどにはカフェもありますので、買い物に疲れたらこちらで一息入れるとよいのでは。

グダニスクには琥珀のアクセサリーや加工品のほかに、裸石の量り売りもあります。
質にもよりますが、安いものだと1gあたり3〜5PLN前後から、1gあたり10PLN も出せばなかなか透明度の高いものも手に入りますので、安価ながらもリッチな雰囲気を味わえるおみやげとして非常にオススメ。

ワルシャワ、クラクフなどポーランド国内の主要な観光地ならばどこでも琥珀製品は見つけられますが、それらの大都市に比べるとグダニスクでの価格は2〜3割ほど安め。グダニスクに行く予定があるのなら、他の都市での琥珀購入は我慢したほうがよさそうです。

琥珀博物館

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そんな琥珀産業が盛んなグダニスクには、希少な琥珀や琥珀製品を集めた琥珀博物館があります。
展示品の中でも特に注目したいのが、琥珀に閉じ込められた動植物たち。
蚊や羽虫入りの琥珀はおみやげ屋さんでもそこそこ目にする機会がありますが、ムカデやトカゲの入った琥珀は、市場ではほとんど流通しない大変レアなものです。

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開館時間がやや不規則なため、訪れる際には十分に確認を。
公式サイトはこちらから。↓(ポーランド語のみ)
http://www.mhmg.pl/oddzial/17/amber-museum

またの名を拷問館および監獄塔

なおこの琥珀博物館、別名は「拷問館&監獄塔(Torture House & Prison Tower)」。美しい琥珀を堪能したあとには、グダニスクのほんのり暗い歴史が待ち構えています。

もともとグダニスクは城壁に囲まれ、この琥珀博物館の建物はその防衛の要として機能していました。
しかし街の規模が拡大し城壁の外へも市街地が広がり始めると、これらの建物は街の防衛の役目を失います。しかしその堅固な造りから監獄として生まれ変わり、19世紀半ばまで囚人の収監および刑の執行がここでなされていました。

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当時の拷問器具の展示をBGM(うめき声)付きで鑑賞できます。なかなか粋な演出ですね。

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中庭には手枷が吊るしてありますので、ぜひ記念撮影にお使いください。

居酒屋の立ち並ぶビール通り Piwna

また大武器庫正面から聖母マリア教会へ伸びる通りはPiwna通り、日本語に訳すと「ビール通り」と呼ばれています。

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突き当りにぼんやり見えるのが大武器庫。

その名前が示すとおりバーやパブ、レストランが道の両脇にずらりと軒を連ねます。食事の場所を探すならこの通りに来るだけで不自由しないでしょう。
しかしたべもの情報の詳細はまた後日。

ざっと街歩きを終えたら、オリーヴァ大聖堂のオルガンコンサートをめざします。